鬱病のはじまり(休職するまでの話)

真面目で責任感が強くて、自分の理想像が高く、完璧主義者だと鬱病になりやすいと思います。(自分がそんな感じの人です。)

以下は自分が鬱病になるまでの体験談ですが、長いので、興味がある人はサラッと目を通してもらえれば、と思いますw

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地元宮城県の大学を卒業した後、地元仙台のIT企業に就職しました。

大学では電気、情報を勉強する学科でした。

自分は電気より情報の方が好きだったので、その流れでIT企業に就職しました。

 

最初は不安ながらも、仕事をなんとかこなしつつ、朝の1時間(勤務時間外)を自己学習時間として勉強しながら生活していました。

大学の教授がすぐに怒鳴る人だったのですが、会社の上司や先輩にはそういった人はいなく、内心は「大学生の時のほうが辛かったな。」と思ってました。

 

そんな生活を続けて、新卒入社3年目で、あろうことか主任に抜擢されました。

3年目で主任は早いと思い、上司に「なんで自分が主任になれたんですか?」と聞いたところ、

 

"技術スキルはまだ少ないところがあるけど、人をまとめる力や業務管理、そして向上心がある。"

 

といったことを言われた記憶があります。

正直この時は不安より嬉しさの方が強かったです。

上司を含む会社の人たちに認められたという承認欲求が満たされたような感じでした。

(この時にはAWSの資格やLPICを取得してました。)

 

ただ、主任になった後がきつかった。。

 

業務のレベルがあがり、BPさん(ほかの会社さんからの派遣で来てる人)だけでなく、中途入社の社員(自分より年上でしかも外国人)も自分がチームリーダーとして動かさないといけなくなりました。

 

自分よりIT業界年数が多い分、おそらく自分よりも知識や技術はあることが起因してか、メンバーの言ってることが技術的に理解できないことが多くなりました。

自分の知識が足りないので、メンバー(特に中途入社の外国人)が言ってることが正しいのか間違っているのか判断がつきませんでした。なおかつ、メンバーの外国人の人が当然、日本語はネイティブ言語ではないので、いっそう混乱しました。(日常会話は問題ないレベルで話せていたのですが、、)

 

上長にも相談して、会議に参加してもらいましたが、上長もその外国人が言ってることが分からず、なんとか自分の知識で無理やり会話しているような感じでした。

当然、私は二人の会話を理解できず、一人置いてきぼりになった感じでした。

 

主任なのにメンバーの意見を理解できない、まとめられない、という不安感というか責任感というか、なんと言っていいのか分からないですが、そういったものに自分はどんどん押しつぶされていきました。

 

このような日が続き、精神的に疲れている実感はありましたが、身体にも異常が出始めました。

 

鬱の症状は人それぞれだと思いますが、私の場合、朝からすでに倦怠感があり、具合が悪く、日中12時には徹夜でもしたかのような、眠いを通り越して気持ち悪いような症状が続きました。

 

さすがに仕事ができるコンディションではない、と思い、上司に相談しました。

そこで上司からは心療内科に行ったほうがいい、ということと、休職したほうがいいのではないか、という話をされました。

 

私は心療内科に行って、鬱病不眠症という診断をされ、4か月、休職することとなりました。

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ここまでが、私が休職に至った経緯です。

他にも、

・復職した後の話

・転職失敗した時の話

・IT業界の話(インフラエンジニア)

心療内科の薬を常薬してはいけない

・薬に頼りすぎてはいけない

などのことを書いてみようかなと思います。

あくまで私の体験談や主観などであるので、全てを信じ込まないで、参考程度に「こういう人もいるんだなぁ」と思ってください。

 

読んでくださった方、ありがとうございました。